あたまのなかみ。

※全て個人の見解です。どんな意見でも貰えたら喜びます。基本→人狼ゲームについての考察。稀に→ふと思ったこと。

正解までのプロセス①

とりあえず、このタイトルで様々な事象を書き進めていくこととする。

 

途中で題材が変わるかもしれないが、大元はこのタイトルで大丈夫だろう。

 

 

議論内容1:【常識=正解】ではない

 

 

これを1見出しとして書いていく。

 

しかし、【常識=正解】である。

これもまた私の結論である。

相反する答えだが、これを説くのはこれから。

 

 

あなたにとって常識とはなんだろうか。

 

▶︎常識・・・健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

 

と述べられている。

では、健全な一般人とはどういう定義だろうか

普通の知識とはなんだろうか。

 

そこに疑問を持ったことはありますか。

 

7~8割の人間がそう思っていれば常識、と簡単に言えばこういうことなのでしょう。

 

確かに、日本人には特にこういう状態は強く、好まれるのかもしれません。

それが正しいのかはさておき、あの人もやっているからやろう、この人が言う事をみんな支持している。

という、多数派の意見に取り残されたくない意思がひしひしと感じられます。

 

これが日本の国柄のひとつだと思います。

 

特にこれが善だとか悪だとか言う気はそうそうありません。

 

見出しどおり、その多数派の意見、所謂"常識"と言われるものを正義と振りかざして、あたかも正解のように振舞っている世間が間違っていると言いたいわけです。

 

全事象が間違っている訳では無いので、よくSNSに蔓延りがちな勘違い民の為に言っておくと、常識が正解に繋がっている所ももちろんあります。

正解とは時に結果論の場合もあるので一概には言えません。

 

ここでの常識=正解ではないという主張は、あくまで、『必ずしも』常識=正解ではない。を説いているのです。

 

 

 

▶︎1.日本人における常識の価値観

これ大事です。

 

常に都合がいいなと思います、これは無論自分にも当てはまることがあるので耳が痛いですが、「あの人がやってるから」「隣の人もそうだから」「友達が言ってたから」これ都合良いですよね。

 

いかにも多数派の意見であるように押し付けをしてくるのです。

 

前述したとおり、7~8割の人が同じ気持ち、同じ考えを持っている場合それは常識と見なされるでしょう。

 

常識をどこまで通すのか。

 

自分の常識と人の常識が合わない時は価値観の相違だけでなく、習慣に影響を及ぼしたり、もちろん人間関係にも波及します。

 

例えば家庭で2人の意見の出し合い、相違があった場合、耳にするのは他人の家庭の話や過去育った家庭の話。

 

この時点で間違いなんですね。

結果からすると。

 

そもそも人間一人一人異なる生活、異なる思考、異なる生物です。

目の前の人と話す上で、それ以外の第三者を引き合いに出すという考え自体が浅はかで、完全にとは言いませんが無関係の話です。

 

2人で議論を行う場合に限っては常識というものは基本存在しないと考えています。

そこには0%,50%,100%しか存在し得ないからです。

 

2人の見解が一致すればその場の正解であり、2人の見解が食い違えばそこに議論が発生し、見解が合う正解が見つかるまで議論をすれば良い。

そこに第三者を引き合いに出すのは合理的ではありません。

何故ならそう考えるのは自分自身だから。

 

しかし、もちろん第三者を出していい場面は存在します。

それはその第三者についてお互いの理解が一致している時です。

これは有名人であれ、身近な人であれここをクリア出来ていれば、常識の引き合いが出来ます。

ものさしは必ず尺度で測らなければ正確ではないのです。

 

 

 

▶︎2.正解の在り方

 

多数派を正当とする風潮は長い間歴史をかけて作られた日本の常識的なところがあるため、染み付いてしまったことは仕方がないですが、本来正解であるべきなのは《自分自身の行動・思考》であるべきです。

 

これは問題視されている部分ですが、言われないと行動ができない人(指示待ち)が増えています。

何故これが多いかと言うと、結論は指示されたことが正解だ、と思って行動している人が多いからです。

 

では何故それが増えるかというと、失敗を恐れる気持ち、間違いを犯したくないという気持ちから起きている場合がほとんどです。

 

もっと深掘りしましょう。

何故失敗を恐れるのか、間違えたくないのか。

 

ここからが大事なところです。

常識外れ、この言葉、凄く成長に邪魔だと感じています。

ただよく日本人は成功した人々に常識外れの〇〇、並外れた〇〇だと言います。

 

それは何故か、その人らが常識外れの価値観を持ち合わせていた訳ではありません。

 

自分が信じる道を自分自身の行動や思考になぞって成長を辞めなかったから。

 

今現在、メジャーで活躍されている大谷翔平選手がとてもいい一例だと思います。

気になる人は調べてみてください。

 

ここでの結論は"自分自身の常識"は一種の正解である、です。

 

 

 

▶︎3.正解 vs 正解

 

自分自身に正解は隠れています。

 

それでも指示待ちをするという選択肢もあなたの中での正解になるのかも知れません。

行動自体は変わらずとも中身が自分の判断を伴ったかどうかで変わります。

 

人間は人との関わりを切っても切れない生き物です。

 

正解を持つAさんと正解を持つBさん、どっちが正しいのか、ここが難しいところですよね。

 

結論から言うとどっちも正しいです。

ただ、皆さんはよく議論の仕方に間違いがあります。

最初に立ち返りますが、あの人が言うからでは相手は納得できません。

 

必要なのは根拠と過程と想定される結論です。

 

折れる必要も特段ないですが、良好な関係値を築くには臨機応変な対応が必要とされるところです。

 

漫画やアニメを見ていたらこういう描写はごまんとありますね、ワンピースがまさにそうです。

是非見てみてください、考え方や思想とかで好きなキャラクター、似たキャラクターが見つかるかもしれません。

 

 

 

▶︎とりあえずまとめ

 

【常識=正解】という考え方を一旦捨てた上で、常識とか何か、正解とは何かを自分自身で理解した上で言う【常識=正解】は成り立つという結論。

 

ここで重要なのは、正解に至るまでのプロセス。

 

そこに至った根拠、原因、事象、見えた仮説、取捨選択など、要素が詰まった中で自分がそれを何故選んだのか。

 

そこを上手くコミュニケーションで人に伝えられると120点ですね。

 

 

つらつらと、また疑問が湧けばここに。

 

世の中の"何故"は人を成長させる最大要素ですから。