夏課題である本を読んでました。
「あたりまえ」を疑う社会学
という本です。
面白いタイトル。実際に思うことがあった節が当てはまることが多くてすごく納得のいく1冊だった。
課題としては本の内容を各章ごとにまとめを書くというものだったので、とりあえず一通り目を通して概要を書いた。
ただ思うことが多かったのでこっちに感想文的なものを書こうかなぁと思ったので書いてみる。
普通を疑う
よくやりますね、これ。
しない人多いと思うんですけど。
普通ってなんやねん。
まずこの普通って言葉を生み出した時点で、差別問題が始まる。
この【普通】って言葉が元凶であり、いじめや差別の根本原因だと常々思ってきた。
例えば、SNSの機能でスタンプの使い方を知らない人がいたとする。
【普通】知っているものだ。と多くの人は言うだろう。
それを知らないだけでバカにする人、バカにされる人がいるだろう。
この普通の概念は、自分にとっての当たり前を普通と呼んでいて、この自分ルールの当たり前を理解できないひとを異端な人呼ばわりする。普通ではないとカテゴライズしている。
この光景はよく小学校〜高校の間でよく見てきたが、あたりまえという言葉は教育上でもよく使われる。
先生がよく言う、あたりまえのことをあたりまえにやろう。とか似たようなことを聞いたことがあるかもしれない。
本に書いてあった例を挙げると、ある教授が大学の講義で、君たちはよく長い時間講義を座って聞いている、みたいなことを言ったそうだ。
これは、今までの学びの賜物だと。
あたりまえ、とは言わない。
だよなぁと思った。
レポートを書きながら、なんで今これ書いてんだろうな。
別に書かなくてもいいのでは?と思う回数が50回はゆうに超えた。
それでもなお書いたのは、今まで小学校〜高校にかけて、宿題・課題を嫌々ながらでもこなしてきたからであろう。
自分の中で提出することというのが、一種の当たり前になっているんだなと実感した。
これが自分の中で少し変な感情をもった。
これは学びの上でこうなっているのか、惰性なのか。
常に思うことが、私は普通という言葉が嫌いだ。普通でいることも。
面白味がない。
逆らっていこう。楽しいよ。
多数が思う普通っていう概念と逸脱した所で成果が出たりするのって。
人生ゲーム。
理不尽なんて好敵手。
色んなものを色んな角度から見る視点を得ると、効率のいい生き方、楽ができる生き方ができると感じた、課題であった。