夜中にふと思ったことを記事にしてみる。
ツイートで最近人の目を気にする投稿を多く見る。
たまに共感することもあるが、ふりかえってみると「え、この人の生き方しんど…」と思う。
人の目を気にする。
時代の流れで日本人がよく気にすることだ。
海外では、日本人より気にしない傾向にある。
ユニークだ。
人間関係に絡めると、人の目を気にすることは、「敵を作りたくない」というものの現れだと考える。
良く見られたいというより、悪くない人ですよと見られたい。
敵を作らないではなく、敵を作りたくない。
といった感じである。
弱い。
あくまで個人の意見だが、それをやることで人から貰える情報は自分の考えと似たものしか集まらない。
それは自分の周りに守ってくれる、同意見の者を呼ぶからである。
まさに類は友を呼ぶじゃないだろうか。
団結して集団で強ければそれでいいという考えを持つ人達ならば、別に咎めはしない。
個人の結果が要らないのであれば。
私は個人の結果が大事だと考える人間なので、そうは思わない。
特にSNSで気にするところがよくわからない。
対面ならまだしも。
顔も名前も知らんような不特定多数に見られる中で何かを言うと、それは共感されたり批判されたりするのは当たり前だろう。
そんな人の目気にしたり、ビビってるならSNS不適合者なんだからさっさと辞めてしまえと思う。
こじつけで頭の中でつなげてみたが、人狼ゲームにも言える話で、初日にバンバン敵を作ることが出来るのは強みだ。
そこが人狼ならその村人は正解が見えていて、そこが間違っていたらその村人は叩かれるだろう。
しかし、その強い意見は村人をより村人っぽくさせる。
逆に敵を作りたくないと思い、行動していると自ずと浮く。
これはどっちの陣営に属していてもそうである。
たまには理不尽なことも、無理難題もあるかもしれない。
でも囲いをつくってなんになるんだろうか。
戯れるのが楽しい人達はそれがいいのかもしれない。
ただ、敵がいないRPGなんて面白くない。