Twitterで見つけた漫画だった。
すごく面白い。
人間は基本面倒くさがる生き物だ、と。
まさにそうだよな、と思いながらその漫画を読んでいた。
ただ、人それぞれ考え方によって面倒くさがり方が違うと描かれていた。
そこでは東大に通う人の考え方と一般の人の考え方というわけられ方をしていた。
前者の考え方は、面倒だ、故に人に聞いて解決しよう。なにかそこからヒントになるはずだ。と、既にあるはずの解決法を人に聞いて探すというものだった。
一方後者は、面倒だ、故にその場を凌ぐために自分ならこうした方がいいからこうしようと、一時的な解決法をとるというものだった。
何を作者は言いたかったのか。
題にもされていたが、【自分で考えるというのは、考えていないのと同じ】このタイトルから少し強めの印象を受けた。
しかし、これを読んだあとは納得しかなかった。
私は基本効率厨だと思っている。
少しでも自分が楽できる方法を常に探しているし、今も楽しながら楽な体制で思ったことを羅列するだけのブログを書いている。
でもまぁ、これが私にとってマイナスにはならないわけで、先輩達がやっていて、良いものだというからやっている。に過ぎない。
けどそれでいいと思っている。
今までだってそうだった。
学校行きたくないなと思ったらその日は行かなきゃいい。行っても身にならないのは見え見えだ。と思ったら行かなきゃいい。
不登校、サボり、中退をした人達の末路は全てが一緒ではない。
なら、その行為をして尚私がしたい生き方が出来ている人を模倣すればいいと思った。
これが一番楽な生き方。
教科書なんてその人の人生1個でいいんだから。
そしてその人の考え方から少し突出するものを自分から出した時、その考え方は今までなかった新しいもので色んな人の目を引くものになる。
こんな楽な方法ないな。
今まで義務教育から高校までやってきたけど基本そうだった。
人のやり方を見て、一番楽してるなぁって人真似る。
それだけの作業。
それで最低限やらなきゃいけないことを済ませると、他の人より時間が余る。
その時間は全て自分の娯楽につかえる時間になる。
よく、小さい頃から遊びばっかしてるのになんでそんな成績出るんだとか妬まれたり、羨まれたりしてきたが、結論は【面倒くさがる度合いが激しい人ほど伸びる】ってことだろう。
身に染みて実感してる。
したくなけりゃしない。やりたいことをやる。
このスタンスは一生大事にしていきたい。
この12~3分で1000字超が書けるなら夏課題のレポートも秒で終わりそうだが、なかなか手が付けられない。
さぁ、もっと楽してやろう。