なんか、最近のライトノベルのような長いタイトルをつけてみたさに駆られてこんなタイトルにしてみました。
色んな事ありますが、忙しいとか楽しいとかってやっぱり幸せだなと、予定をなくしてしまった祝日を前にぼんやりしてます。
予定って理不尽なもので、自分で決めることが出来ない、自分で決めることが出来るものなんです。
どういうこと?
なんか矛盾してない?と感じるでしょう。
しかし、こういうことって身近にあったりしませんか?
Aの用事を入れた次の日に、Bのイベントが同じ日に重なって入って来て行けない…。
あと1日早ければそちらを取っていたかもしれないという時が。
1度してしまった約束。
なかなかキャンセルもしづらいし、Aの用事も別段行きたくない訳でもないので、もちろん行く、という形は経験した人も少ないないだろうと思います。
ー予定という概念がない世界だったらということを考えてみたー
ここからはぶっ飛んだただの米が炊ける待ち時間に考えてる私の思考なんですが…。
私はダブルブッキングをするほどスケジュール管理が下手くそです。
当日に言ってくれりゃいいのに…。と思う時もしばしばあります。
言葉を紐解いていくと、「予め定まったもの」が予定です。
そのイベントは既に日時が決まっていて、そこに向けての準備などがあるから、定められているものだと、だいたいこういった所でしょう。
予定や予約。
これらがあることにより、あることというよりは使いこなすことにより、私たちはより時間に効率的に行動出来るようになっています。
それは確かです。
が、なかったらどうなのか。
私はよく行き当たりばったりでご飯屋さんに行ったりするのですが、中々第1候補の店には入れません。
多分私の記憶上では1度きりしか、予約なしでは目的の店へ入ったことがありません。
ただ、それに関して別にとてもマイナスなイメージを持っている訳ではありません。
その場所まで来た道で色々発見があったり、歩きでそこまで喋ったり、次の店を探し回る時間というのもそこから生まれてきます。
贅沢な時間の使い方、人によっては無駄足、時間の無駄などと感じる人もいるでしょう。
まぁ、それは時間に効率的に動くことが最善のように謳われている現代ではおかしくないことです。
でもたまには時間を忘れて、バタバタではなく、ボチボチ生きてみませんか?
こんなことを書いていたら米が炊けました。
書く時間を与えてくれた食前の時間に感謝して。