皆さんはRPGを嗜んだことはありますか?
飲み屋で3時間、帰路に2時間話しても話しきらないほどの会話を終えて残った葛藤を記すことにします。
最近は人気RPGの携帯アプリもでて、街中にファンを繰り出しているくらい、RPGというのは多くの人を虜にするものがあるのでしょう。
物語の主人公、ゲームやアニメのヒーロー、ドラマのヒロイン等は周囲よりも一際輝いて見える要素を持っています。
冒険に出る勇者もそう。
かっこいい兜、体に纏うは勇者のマント、紋章を刻んだ盾に、龍さえ一撃で葬る剣を装備している姿が頭に浮かぶでしょう。
貴方の人生はどうですか?
貴方はあなたの思う理想の主人公ですか?
人生は1度きり、なんてことはよく言われることです。
ゲームみたいに呪文1発で死んだ人を生き返らせるなんて出来ません。
だから、人は強く逞しい、社会に通用し、待ち構える敵に立ち向かう勇気を持った強い主人公に憧れを抱くのだと思います。
私もかつては主人公が勇者一択だと思っていました。
自分の生き方に疑問を持つまでは。
私は目立つ事が好きだ。
人前に立つことが好きだ。
何かのトップでいることが好きだ。
と、"思い込んできました"
そう思い始めたのは小学校高学年。
人の上に立ちたい、下にいたくないという承認欲求や上下優劣を感じ始めた所からスタートしました。
思い込んできましたという表現が正しいと感じ始めたのは、高校3年の時から。
自分の物語の主人公は自分でなければならない。
根底はここにあります。
それは誰しもそうであって欲しい、自分を大切にして欲しいという気持ちがあるからだと思います。
ただ、物語の主人公が【勇者】である必要性はないと思い始めたのです。
そう思えたきっかけは何個かあるのですが、抽象的に分けると大きく2つ。
・自分より勇者に向いてる人間が多く存在すること。
・自分が周囲をよく観察して状況判断をして行動することが得意であること。
である。
まず1個目の要因から、私が勇者である場合、その頂点には立てないことを悟った。
その結果、別の道を歩む決断をすべきだと判断した。
そして2個目の要因から、自分は前線アタッカータイプではなく、他人の動きから自分の最善手を読み解くタイプだと感じた。
実際これは当てはまっていてあらゆる戦略系ゲームで経験を積んだ。
スタートプレイヤーが有利と謳われているゲームでも2番手3番手の方が勝率がよかったりするのも、この分析のおかげだ。
コネクティングドットという考え方からすると逆に、有利な1番手をとる人間が多いことを自然の摂理っぽいことで感じとっていたから、2番手3番手でも勝てるような考え方を自然と練っていたのかもしれない。
私の理想像は、私は敵側の人間から面倒臭い、厄介だ、どうしようも出来ない奴だと思われたい人間である。
ゲームで言うところの毎ターン自陣のHPを1にする敵がいてもトドメを刺す前に一瞬で全回復してやるような存在だ。
自分の楽しむという成分はなんだろう?
と考えた時に答えが2つある。
・圧勝するもの
・僅差の俗に言う【いい勝負】と言われるもの
私は後者の方が好みだ。
自分より格上のどんな敵とも互角に戦える戦略を備え持ち、隙をついて勝つ。
そんなキャラでいたい。
それなら勇者じゃなくて僧侶でもいいじゃないか。
あたまのなかみ。というブログを書いているが、タイトルネームの本意も、思考を開示する為のモノ、頭を使う時に考えていること、ふとした疑問を吐きためるために使えるネーミングという意味で軽く名付けた。
他人へのサポートは自分が勝つ為。
誰もが予想出来ない戦略で他人を上回る。
格上の敵でも遥かに想像を凌駕する。
良い意味で社会を劫かす存在。
そんな奴でいたい。
これは私の人生で、私は主人公。
冒険の書はまだ駆け出し僧侶の称号だ。
それでも常に戦っていこう。
いつかは人間界最強の賢者になる為に。